走るのが遅かった理由

鬼ごっこは嫌いではなかったが、かけっこは嫌いだった。
絶対に、勝てない。

小学校のとき、50M走のタイムは常に10秒台。
中学校に入ってからは9秒台になっていたような気がするが、とにかく走るのが遅かった。

「どうやったら、速く走れるのか」、体も頭も、答えを知らない。
わかっていない体で何度走ろうが、何も解決しない。少なくとも私の場合。

私にとって「走る」とは、2つ見えている像の中をフルスピードで前進する行為である。
努力すれば速く走れると思えなかったし、速く走りたいとも思わなかった。

身の安全を守るため、視界に入る対象物を「常に無意識に計測しながら」動作を行っている。
皆、同じことを無意識でやっていると思うが、脳が「ストレスなく勝手に正確に」処理しているか、「無理して何とか無理矢理に」処理しているかの違いだと思う。

目に見えている物を認識するスピードが、どうやら人と違う。
静止している物は問題ないが、動くものに関しては、驚くほど遅い。

だから、動いている物を見ながら説明を聞くときは、「見る」か「聞く」の、どちらかしか出来なくなってしまう。
この「ストレスだらけの見え方」が変ったら、どんなに楽だろう。

もたもたしている動きは、速い動きになるだろうか?
わずかな時間しか集中できない勉強が、もう少し長い時間、頑張れたりするのだろうか。

いまさら「速く走れるようになりたい」とは思わない。
でも「動きを速くしたい」とは思う。

見え方が変われば何かが変わるなら、見方を変える努力は惜しまない。
老眼になっている場合ではない。70歳までは、努力を続けたいと思う。